■北京留学 2010年9月14日  会員 古野 浩昭さん 
「北京日記」14 "「梁祝」中国語訳は生ビールの味?"

6月下旬、'山東旅行'を終え、そのまま日本で夏休みに入って早、1か月半、そろそろ北京に帰る支度をせねば、とモゾモゾし始めた8月15日。昨日、TBSで午後9時から放映されたテレビ映画、英霊たちの「帰国」(倉本聡脚本、ビ―トたけし主演)で流した涙もすっかり乾いたが、テレビでは、恒例の天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、「武道館」中継の「全国戦没者追悼」の慰霊祭が映し出されている。菅直人の眉間に深く皺を寄せる顔は、広島の原爆慰霊祭で見せた顔と同じで市民運動家の総理大臣が丸写しだ。終戦直後の昭和21年生まれ。私も先週、63歳になったが、つくづく思うのは、今の日本のかじ取りをしている指導者は、まさに我々、同世代の人間ばかりになったという感慨。各界のトップの顔見知りも意外と多いのに驚くばかりだ。私は既に引退の身だが、忸怩たる思いもある。

さて、鎌倉の隠れ家で過ごした今年の日本の夏は、これまでにない蒸し暑さだった。7月13日、鎌倉・扇ヶ谷の料理屋(居酒屋?)で開かれた中国民話劇「梁祝」公演の'同窓会'で依頼された「梁祝」DVDの中国語版作成。これまでも、北京で何度か自問自答した課題だったが、「梁祝文化研究所」の塚越誠さんから「このままじゃ、もったいないよ。(再演が今すぐ出来なくても)日本語で作った当日公演のDVDを中国語に訳せば、大勢の中国の人に見てもらえる」という'きつ〜い'ご指導をいただき、重い腰を上げてしまった。

その後、今泉台の自宅に籠り、1ヶ月余り。未だ、'地力'の伴わない我が身の'中文'能力で日本語から中国語に訳すのがどうして可能かと悩んだ末、とにかく1日1ページのつもりで自身の戯曲「梁祝」の翻訳をやり始めた。ひとつの日本語だけでも適切な言葉を探し、中国語に訳すことは大変なことだが、あるとき、小説「梁祝」の中国語原典の存在に着目、会話中心に丁寧に読み直せば、私が書いた戯曲の大半が、会話で成り立っている以上、楽になるのではと思い、読み直してみた。'読み'は的中。その日から翻訳のスピードは上がっていった。

現在、私の翻訳は、東京大学で元朝時代の杜甫注釈書の原典研究で博士号を取得した、明治大学/東京理科大学の中国語講師、大山潔さん(中国名、陸潔女史)に厳しくチェックされている。早ければ、8月中にも'修改'(添削)が完成し、塚越さんにお届けできるかもしれない。

実は、この1ヶ月、私は、暑さ凌ぎの生ビールを呑みに呑んだ。終戦直後、進駐軍の兵隊で埋まった銀座7丁目の「ライオンビアホール」の'ハーフ&ハーフ'、恵比寿ガーデンプレイスの'化学実験長筒'ビール、群馬と新潟の県境、秘湯の「法師温泉」で呑んだ群馬の地ビール、大船の行きつけの立ち呑み屋「鞠屋」の生ビールなどなど。なぜ、これほどまでに呑んだ?その答えは、私がこれから中国に行くところは、実は北京ではなく、黄海に面する山東省の青島だからだ。青島はチンタオビールの本場。その味に迫るビールが日本にあるのかないか、試してみたかったから。銀座ライオンのビール味は、いい勝負になるかもしれない。明後日、北京へ。その翌日から新疆ウルムチの旅。北京に戻る8月25日、「中央民族大学」春学期の成績表をもらい、8月末には青島所在の国立大学の名門「中国海洋大学」の宿舎に移るつもりだ。

添付は、話劇「梁祝」の"第一幕中国語版"。

(続く)